それは知ってるよ

音楽できなきゃ死ぬみたいなノリで
建築やれなくなるなら死ぬというテンションではないが
やっぱいいなあとか好きだなあとか建築に思わされると
やってやるーと思うし、建築以外の芸術とか
きれいな夕焼けだとか、高架のホームから見た背の高い重機とか
冬の朝とか夜とかの空気の冷たさを、
わたしが何か作品に昇華させるならば建築しかない
と思うくらいにはもう建築が好き
っていうのをかすりもしなかったコンペの優秀作品の
プレゼンのデータを見てつくづく実感したので
一応ここに書いておこうと思います
テーマのせいかもしれないけどあの表現は必ずしも
あの人たちにしかできなかったわけではないと思う
プレゼン見て納得したし伝わったのですごく独創的なわけではないんだ
変態だなあとは思うけど、でも建築学生なんて大体変態だしね
だからわたしは卒制までに表現についてつきつめなければと思うんです
こないだ長期課題の講評でも言われたけど
やったことは書かないと、喋らないとやったことにはならないわけで
フォーマットがあってスペースがあるんだから意味のない余白はもったいない
それなりの大きさがあればそれなりの密度が求められているわけで
いや全部わかってるんだけど時間がないとか言って投げちゃうから
中途半端に稚拙な感じで終わるのがずっと嫌なんですけど
でもそれはわたしがいけないのでもっと集中力を高めねばと思います


おやすみなさい